ダンサー田中泯+彫刻家名和晃平
「Dance『彼岸より』」と「アートキャンプ白州」を語る
聞き手・構成・文=藤田博孝(ONBEAT編集長)
2024年4月19日発行『ONBEAT vol.20』掲載
田中泯はダンサーとして70年代から型破りな実験活動を展開し、身体と世界の関係性を追い求めてきた。その活動の一つとして、自身の拠点・山梨県の山村、白州町(現・北杜市)で開催した「アートキャンプ白州」がある。領域横断的なアートの実践の場となった「アートキャンプ白州」は、現在では地方芸術祭の先駆けとして、戦後美術史の重要なトピックと位置づけられている。名和晃平は1994年の夏、京都市立芸術大学一年生の時にポランティア・スタッフとして「アートキャンプ白州’94」に参加して以来、たびたびその活動に携わり、大きな影響を受けたと公言する。そうした繋がりから名和は2022年、市原湖畔美術館で開催された展覧会「試展ー白州模写『アートキャンプ白州』とは何だったのか」でゲストキュレーターを務めた。そんな関係にある二人は、2024年の初頭に初コラボレーションとして舞台作品「Dance『彼岸より』」をYCC県民文化ホールで開催し、好評を博した。今年の夏には再び田中泯と名和晃平による共同企画として、展覧会「アートキャンプ白州2024」が山梨県で開催される。気心の知れた二人が「Dance『彼岸より』」を題材に、踊りと創作について存分に語った。
田中泯+名和晃平 インタビュー
藤田:さて、その出会いから約30年を経て実現した初コラボレーション作品「Dance 『彼岸より』」の制作は、お二人にとってどんな体験となりましたか。
名和:本当に、泯さんでしか成立し得ない舞台でした。僕もSandwichのスタッフたちも、泯さんと一緒に作品を作ったこと、それが舞台公演として実現したこと、そしてその結果としての衝撃がまだ体の中で響き続けているような状態です。 自分がずっと「こういうことができないか」と考えていたことが、自分の想像を越える形で表現になったという実感があります。
田中: 自分が今までやってきたことではないことに出会ってみたいという思いがありました。 ですから名和さんとの舞台は、踊るための身体のコンディション、体力的な問題、集中力の問題など全てを無視してやると決め、食事制限をして臨みました。 前年の暮れに名和さんにお会いした時と年明けにお会いした時では、僕の身体は相当変化していたと思います。
藤田:私は初日の公演を拝見しました。幕が閉じてからしばらく間があり、その後大きな拍手が湧きおこりました。 観客は異世界から現実世界に連れ戻され、放心状態にあったのだと思います。 あの舞台はそれくらい密度の濃い没入体験を私たちにもたらしました。台詞も一切なく、非常に抽象度が高い作品であるにも関わらず、終演後は皆さん口々に「凄かったね」 と感想を語り合っていました。
名和: 制作側の僕らにも、観客側にも「何が生まれるんだろう」という良い緊張感がありました。会場に居合わせた全員が「何かが生まれる」現場を目撃し、そこには終演後すぐに反応しきれないほどの残響があったのだと思います。 その余韻は僕たちの中にずっと続いていくのではないかと思います。
田中:公演中はまるで舞台と客席が一緒に呼吸しているような感じで、本当に静かでしたね。 あの時間は、恐らく観客も感覚を相当集中して働かせていたのではないかと思います。 ですから舞台が終わった時、「彼岸」 から元の世界に静かに戻っていくための時間が必要だったのではないでしょうか。
藤田:「Dance 『彼岸より』」 の構想やコンセプトはどのように生まれたのでしょうか。
名和: まず、2021年に僕がSCAI THE BATH HOUSE で開催した個展で、 映像作品《Tornscape》のインスタレーションの中で混さんに踊っていただく機会がありました。その時は告知なしで2回「場踊り」をしていただき、僕にとってはそれ自体も凄く特別な出来事になりました。その後、泯さんとは「また舞台のプロジェクトでも一緒にできたらいいですね」と話していたのですが、 それから数年後に泯さんから「山梨で舞台をやる機会ができたんですけど、どうですか」と声を掛けていただき、ディスカッションを始めました。そこで僕は混さんに、今回のコラボレーションのきっかけとなった《Tornscape》を新作のたたき台として考えたいとお伝えしました。”Tornscape (トーンスケープ)”とは、「方丈記」 の英題である 「Hojoki: Visions of a Torn World」 から着想した言葉です。 800年以上前に書かれた随筆「方丈記」では、繰り返す天災や人災、それによって引き起こされるさまざまな世の中の変化を、鴨長明が淡々と眺め記しています。 僕は「方丈記」の視点で現代を見ること も十分可能だと考えたのです。 つまり “Tornscape” とは、過去と現代をつなぐ俯瞰的な視点であり、今回の舞台のコンセプトの根幹を成す概念でもあります。僕たちはそこを起点に発想を広げていきました。
田中: 僕も初めて《Tornscape》 の映像の前で踊った時に感じた感覚が身体の中にずっと残っていました。 名和さんが言ったように、僕たちは “Tornscape” の視点を軸に、最初に「Dance 『彼岸より』」というタイトルを決めました。 僕は「もし過去や彼岸から人々がこちらに話しかけてくるとしたら、どういうことを話しかけてくるのかな」というようなことを空想しました。そしてその時空間を行ったり来たりできるような舞台装置を作れたらいいなと名和さんと話しました。つまり、その舞台そのものが 「彼岸」 から現代に問いを発するのです。 それは 「世の中に世の中を問いかける」 ということでもあると思います。
藤田:では、舞台美術についてお話をうかがいます。客席から見て舞台左手には、背の高い一本の樹木のようなオブジェクトがあり、そのてっぺんにはハゲタカをモチーフとした名和さんの彫刻作品 《PixCell-Vulture》 が天界から地上を見下ろすかのように設置されていました。一方で、客席から向かって右手の床には地下世界につながるかのような一つのマンホールがありました。 舞台上は常に霧で満たされ、それが雲海のようにもなれば、砂丘や雪原のようにもなるといった具合に、刻一刻と変わる景色を作り出していました。 簡潔でいて奥行きのあるこの舞台美術に込めた名和さんの意図などをお聞かせください。