美術家・李禹煥 作ることと作らないこと
聞き手・文=藤田博孝
2022年11月3日発行『ONBEAT vol.17』掲載
国際的にも大きな注目を集めてきた「もの派」を代表する美術家・李禹煥。その東京では初となる大規模な回顧展「国立新美術館15周年記念 李禹煥」が開催中だ。作家本人へのインタビューを通じて、その長きにわたる人生と創作活動を振り返り、大回顧展の全貌と作家の実像に迫る。
ーまずはじめに、芸術家・李国煥の原風景ともいえる、韓国で過ごした時代のお話から伺いたいと思います。
李:私は慶尚南道咸安郡(キョンサンナムドハマングン)の山間部の僻地で生まれ育ちました。そこは自然は豊かですが、文明からはかなり距離のある場所でしたので、都会に出た時には、かなり文明コンプレックスを抱えていました。ですから自分の精神の根本には、ある面で非常に原始的というか、自然との関わりが強い部分が残っていると思います。そんな私の実家は比較的古い家系で、儒教を重んじる家柄でした。また、わが家には父と祖父の友人で、中国への留学経験もあり、韓国では多少名前の知られた文人の黄見龍(ファンギョンニョン)先生がよく遊びに来ていました。黄先生が遊びに来ると、長いときはほぼ2カ月、短くても1カ月ぐらいはわが家に滞在して、絵を描いたり、詩を書いたりしていました。そして合間を見ては、まだ4、5歳だったた私に書や漢文、絵などを教えてくれました。それ以降も、合計で7~8年は黄先生の教えを受けたと思います。まるで自分の孫に接するかのように指導してくれた黄先生から「君は器用で絵心があるけれども、まかり間違っても絵描きになんかなるんじゃないよ。そんなものは女・子どもの身嗜みに過ぎない。芸術を心の糧にすることはあっても、それを自分の専門にしてはいけない」と言われたことをよく覚えています。また家には韓国の古典音楽から西洋音楽まで、さまざまな種類のレコードがたくさんありました。幼い頃それらの音楽を聴いては、耳から入ってくる音が、身体や心の深いところを奮い立たせるのを感じました。また家には本もたくさんあり、本を読んでいると、知識とともにイメージが果てしなく膨らんでいきました。そうした音楽や文学の性質に比べると、「見る」という一瞬の行為で完了してしまう絵画は二次的でつまらないものではないかという、視覚芸術に対する限界のようなものを、私は長年感じていました。
ー著書 「余白の芸術」には、 李さんの幼少期の興味深いエピソードがいろいろとつづられています。 例えば、「幼い頃ぼくは米を研ぎながら鼻歌を唄っている母に尋ねた。『そんなにいつも同じことばかりしていてどこが面白いの?」母は笑いながら言った。『やっていることは同じに違いないが、米を研ぐ感じは同じではない。』 (中略) 大きくなりながら、ぼくはこの時の母の話をどれだけ噛みしめたかわからない。同一性と差異性を巡る現体験ともいえるこの出来事は、今でも心に生き続けている。」 という話があります。
李:まさに書いてある通りです。 田舎ではやることなすことが非常に単純なんです。