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【本誌アーカイブ】音楽家・シシド・カフカ その挑戦と葛藤を語る(vol.21)

音楽家・シシド・カフカ その挑戦と葛藤を語る
聞き手・文=藤田博孝(ONBEAT編集長)
取材協力=株式会社ジーン
2024年10月8日発行『ONBEAT vol.21』掲載

 

世界的にも稀なドラムヴォーカルのスタイルでデビューして以来、精力的に音楽活動を展開してきたシシド・カフカは、キャリアを重ねる中で、女優やモデル、ナレーターなどへも活動領域を広げ、多方面で活躍している。現在はハンドサインによる即興演奏でリズムを奏でてセッションしていくリズム・プロジェクト「el tempo (エル・テンポ)」をディレクションするなど、常に新たな領域に挑戦し続けるシシド・カフカに話を聞いた。  

 

―シシドさんの生い立ちと、音楽やドラムとの出会いについてお聞かせください。

シシド:メキシコで生まれ、2歳までの3年間をメキシコシティで過ごしました。帰国後、5歳からバイオリンを習い始めたほか、カトリック関連の施設によく通っていたので讃美歌を歌う機会がとても多く、小学校ではクワイヤーに参加していました。小学校4年生になったある日、姉と一緒に音楽番組を見ていて、あるバンドの演奏シーンでドラマーの姿が一度も画面に映らなかったことに気付きました。そのとき私の中に、音楽の根幹を支えながらも裏方に徹する「ドラマー」という存在への強い憧れの気持ちが芽生えました。同時に、ドラマーという立ち位置は自分にぴったり合うのではないかと思い「よし、ドラマーになろう」と決意をしたんです。今から思えば、そのドラマーが画面に映らなかったのは、正式なメンバーではなくサポートメンバーだったからなのだと思います。

ードラマーという立ち位置が自分に合うと思った理由は何ですか。

シシド:そのころ私は、小学校という社会の中で自分の立ち位置を認識し始めていました。「目立ちたい。派手なことがやりたい」と心では思っていても、どうやら自分にはそのスキルや求心力がないことに気付いたのです。例えば5歳から続けてきたバイオリンも、自分の技量的にオーケストラではファーストバイオリンは任されず、サードバイオリンを務めていました。そんな中で、主旋律を助ける旋律を弾くことの面白さにも気が付いた私は、「裏方に回る自分」を意識し始めていました。しかし学校の行事などで裏方をやってみると、やはり心のどこかで「裏方で頑張ってる私を誰か見てないかな」という気持ちを抱いてしまうのです。ドラマーという立ち位置は、そうした自分の矛盾した承認欲求をうまく叶えてくれるのではないかと思ったわけです。ただ実際にドラムを叩き始めたのは、それから数年後になります。中学校に入る頃、私たち家族は父親の仕事の都合でアルゼンチンのブエノスアイレスに移住しました。しかし言葉も何もわからない私は、現地の学校に通い始めたものの友達ができずにフラフラしていました。そんな私を不憫に思った両親が「小4の時からずっとドラムをやりたいって言ってるし、そろそろいいか」と、ドラムを買い与えてくれたのです。そして運よくダニエル・ピピ・ピアソラ(世界的バンドネオン奏者アストル・ピアソラの孫でアルゼンチン・ジャズ界を代表するドラマー)の個人レッスンを受けられることになりました。基礎的なことを学んだ後、最初に習ったのはタンゴのリズムでした。アルゼンチン人であるダニエルにとっては当たり前のことなのでしょうが、私はブエノスアイレスにも住み始めたばかりでタンゴに馴染んでいたわけではないですし、本当にただただドラムが叩きたかっただけなので面喰いました。その後ラテンミュージックやジャズなどさまざまなリズムを習い、最後に習ったのがロックの8ビートでした。私は「やっと楽しいのが来た!」という感じで8ビートにハマり、その後の人生が決定づけられたんです。  

 

シシド・カフカ 撮影:森本利則

 

―アルゼンチンにはどれくらい住んでいたのですか。

シシド:中学2年生までで、中学3年生からは日本の女子校に通い始めました。その学校はエスカレーター式で高校に進学できるのですが、私は男の子とバンドを組みたいと思っていたので、受験をして都内にある共学の高校に進学しました。高校入学後はプロになることを目指してバンド活動に明け暮れました。当時は自分に必要なのはとにかく場数を踏むことだと考えていましたし、周りはどこも慢性的なドラマー不足だったので、ドラマーを求めていると聞けば、全て手を上げて叩いて回っていました。最高で8バンドを掛け持ちしていた時期もあります。

―そうした武者修行の結果、シシドさんは、当時既に20年近くの活動歴を持っていた3人組のガールズバンドTHE NEWSの3代目ドラマーに抜擢されたわけですね。

シシド:THE NEWSには19歳になりたての頃に加入し、4年間在籍しました。自分たちのセオリーもカラーもしっかりあるバンドで、日本の音楽業界にまだ女性バンドが少ない時代から活動を続けてきたというプライドもメンバーにはありましたので、音楽に対する姿勢からプレイの内容に至るまで厳しく教え込んでいただきました。

―シシドさんはTHE NEWSでの活動期間中に、大島賢治さんと平出悟さんという二人のプロデューサーに出会い、その後共に活動することになりました。その経緯についてお聞かせください。

 

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