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渋谷モディにて落合陽一個展「未知への追憶」

渋谷モディにて開催された落合陽一個展「未知への追憶」内覧会にて。

メディアアーティスト・落合陽一の個展「未知への追憶 ―イメージと物質||計算機と自然||質量への憧憬―」が、7月23日(木・祝)~ 8月31日(月)9月下旬(会期延長)まで渋谷モディ2Fで開催。本展は2019年に開催された「質量への憧憬」展以来の大規模な個展で、平面・立体・メディアアートを含む40点以上の作品が展示される。

アーティストステートメントとして「物化する計算機自然と対峙し、映像と質量の間にある憧憬や情念を反芻する」を掲げる落合陽一。その2017年~2020年の4年間にわたる活動を、写真や立体物、映像を通じて再構築する本展では、落合陽一が持つ新しい自然観と老荘思想との接続、バーチャルとの邂逅、民藝との接近に至る背景を読み解くことができる。

展示詳細

◉Ⅰ.映像と物質

映像と物質の間で生きてどのくらい経っただろう? 映像装置の発明以後、時間と空間を切り離せるようになった人類にとって、映像というイメージと物質で存在する世界の間の橋梁をどう形作るかという問題に長い時間付き合うことになった。最初のヴァーチャルリアリティの発明から50年以上が経っても未だこの対立軸は消えず、イメージと物質の相転移は再生装置の面でも録画装置の面でも大きな課題が残る。その変換自体も風景に溶け込んでいて、やがてその橋梁自体も無意味になる日を待っている。そんな時間と空間の間で、映像と物質の間を彷徨い続ける。移ろいやすいものと確かなものの間に物質を超越した風景を作り出そうと試みる。

◉Ⅱ.物質と記憶

メディアアートの不可能性に向き合い続けて10年経った。同語反復のようなメディアアートの定義の不能性だけでなく、簡単に壊れてしまうメディアアートの存在の儚さと価値の消失過程にも思いを巡らせる。壊れることも作品に内包し続ける。映像で表現できないからメディアアートを選んだはずが、映像でしか保存できない時間と空間があるという矛盾が物質的に表現されたメディアアートから記憶の意味を強く喚起する理由だろう。物質を手に取るたびに、デジタルのイメージに変換されて永続性を獲得するような生存方法を選びえない切なさを感じとる。だからイメージを物質に変換するためにプリントを刷り続けるんだろう。数百年もつと言われるプラチナプリントを刷り続けることでイメージを物質の形に封印する。物質の形に封印されたイメージは、不完全な記憶のトリガーとして生まれた瞬間から憧憬を内包している。

落合は作品の質感をしっかりと残すため、手作業で一枚一枚印刷に落とし込んでいけるソルトプリントやプラチナプリントに凝っているという。写真は、プラチナプリントを刷るために使用した装置。

《注連縄》は、落合が全国のやおよろずの神々が出雲に集まるという11月に出雲大社を訪れ、撮影した作品。注連縄が持つ独特の存在感や質量感にひきつけられたという。(『ONBEAT vol.12』より要約)

渋谷モディにて落合陽一個展「未知への追憶」

《注連縄》(2020年)(『ONBEAT vol.12』より)

《光を纏う枯れ木》は、木に光るLEDテープを巻き付けて作ったメディアアート作品を撮影したもの。いずれ壊れてしまう機械や、消えてしまうLEDの光、腐ってしまう木の、一瞬の光り方や動きを記録するため、落合は立体作品を制作した後に、撮影し続けている。(『ONBEAT vol.11』より要約)

◉Ⅲ.情念と霊性

イメージを計算機で変換する。その変換の際に解像度の議論は常に発生する。解像度から取りこぼしたものや、解像度によって惹起され目覚める新なものを考えるうちに、解像度から取りこぼした情念のようなものを反芻したり、解像度によって目覚める霊性について考えるようになった。低解像度から生まれる霊性もあれば8Kのような高解像度の刺激から生まれる霊性もあるだろう。解像度と対峙する度に生まれるものを噛み締めている。

渋谷モディにて落合陽一個展「未知への追憶」

《湿った光に絡みつく情念と自然》2019年(『ONBEAT vol.11』より)

《複製画の村の少女》で表現するように、スマートフォンのカメラを使えば非常に鮮明に撮影できる今、落合はあえてその解像度を落とし、その瞬間が持っていた「気」のようなものを残すことで、人間が記憶する「リアルな景色」を表現することを試みている(『ONBEAT vol.11』より)

《複製画の村の少女》2019年(『ONBEAT vol.11』より)

渋谷モディにて落合陽一個展「未知への追憶」

《桟橋の記憶》2019年(『ONBEAT vol.11』より)

ヨウジヤマモトとのコラボ企画の写真展でも展示された《枯れ木と霊性》は、無人島で海藻が木になびいている情景を撮影した作品。出雲地方では今でも海藻や海水、砂などをお供えする古い風習が残っているという。落合は、こうした海藻のようなものにも感じる霊性のルーツや、現在どういった形をしているのかということを探すのが、アーティストの仕事なのかもしれないと語る。(『ONBEAT vol.12』より)

渋谷モディにて落合陽一個展「未知への追憶」

《枯れ木と霊性》2019年(『ONBEAT vol.12』より)

◉Ⅳ.風景論

記憶、イメージ、物質、知覚、時間と空間、知能、環世界、様々な名前で呼ばれる断片を拾い集めては、自分が自分と認識する全ての瞬間で自分の内なる自然と外なる自然の対峙を調停している。時には蝶のようにひらひらとしたシルエットを、時には光をきりとって閉じ込めて、解像度から抜け落ちたリアリティを探しながら日々を歩き続けている。いくつかの自然に向き合う中、言葉で断絶されたものを映像や写真や立体やプログラムで構成しながら、バラバラになっていく自己の分断を和らげている。日々を生きる中で、いくつかの対立軸を持ちながら風景を考えることを続けている。

手前:《レビトロープ》2016年、奥:《焦点の散らばった窓》2019年

◉Ⅴ.風景と自然

何が何にとっての自然なのかという問いを探し続けることで、風景と対峙している。自然という巨大な計算機と対峙して、光がさして反射する水面や、反響する音、動く群衆、花咲く草原の草木を見る度に自然という計算について考え続ける。生物もコンピュータも同じ計算機の有機的側面と無機的側面の使い分けに過ぎないし、森羅万象を計算で捉え直した世界に見える風景には内と外の区別もなければ上も下もない。全ては全てに対する変換過程にすぎず、あらゆるものは自然の過程の中にあるだけだ。その物化する計算機自然の中で無為自然になりきるデータに一体化しようとする自己から零れ落ちるものを探している。

渋谷モディにて落合陽一個展「未知への追憶」

玉蟲の羽を拡大撮影した作品。左《XXの風景(鳥Ⅰ)》2019年、右《XXの風景(鳥Ⅱ)》2019年

◉Ⅵ.質量への憧憬

デジタルから見た質量への憧憬の中に囚われて2年ほど。いつの間にかコロナ以後の世界では皆が質量への憧憬の中にいるような気さえする。こうやって物質や風景やイメージの中で記憶や存在への旅路をめぐって、自然と対峙するいくつかの対立軸で残ったところにあるものが、データになりきらない身体性や動物性を内包する自分自身の質量への憧憬であることを再認識しながら、未知への追憶の中に風景論を今日も編む。

開催概要

開催日:2020年7月23日(木・祝)~  8月31日(月)9月下旬(会期延長)
※7月23日(木・祝)~7月26日(日)は事前抽選あり(規定人数に達しない場合はフリー入場)
開館時間:11:00~20:00(最終入館は30分前まで)

住所:東京都渋谷区神南1-21-3 渋谷モディ2F

当日入館料:一般1,800円、大学生以下無料

詳細はこちら

渋谷モディにて落合陽一個展「未知への追憶」

会場で販売されている「オリジナルマスク」(税込4,400円)

『ONBEAT vol.11』『ONBEAT vol.12』では落合陽一の写真家としての一面を、本人の言葉や作品で紐解いていく連載企画を掲載!会場には『ONBEAT vol.12』も展示されています。

会場に展示されている『ONBEAT vol.12』

ONBEAT vol.11』では、2019年秋開催された個展「情念との反芻―ひかりのこだま、イメージの霊感―」で発表された新作の数々を、本人へのインタビューとともに紹介。最先端のメディアアーティストである落合陽一が、「なぜ写真を撮るのか」、そして「何を求めて写真を撮るのか」について、そのこだわりの撮影術とともに語る。

 

落合陽一の作品が表紙を飾る『ONBEAT vol.12』では、「テクノロジーと自然と人が融和した世界」について語る落合のインタビューを、落合の総合監修およびアートディレクションのもと公開された日本科学未来館の常設展示作品の大型図版写真などとともに紹介。

 

次号『ONBEAT vol.13』でも連載予定。

※本記事は7月23日、7月28日に一部追記・修正致しました。