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【本誌アーカイブ】林信行の「アーティスティック インスピレーション」 第六回 岡本太郎代表作「太陽の塔」が2025年万博に与えたインスピレーション(vol.22)

林信行の「アーティスティック インスピレーション」
第六回 岡本太郎代表作「太陽の塔」が2025年万博に与えたインスピレーション
2025年5月8日発行『ONBEAT vol.22』掲載

 

林信行

 

1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会(大阪万博)」はアジア初の万博であると同時に、1851年に始まった万博の歴史の中でも2位となる6422万人が来場する大成功のイベントとなった(1位は7310万人が訪れた2010年の上海万博)。今も残る岡本太郎の作品「太陽の塔」の背景や、2025年の大阪・関西万博に与えた影響に迫る。

大阪に世界の注目が集まった1970年の「日本万国博覧会」。その名残りを残す会場跡地となった万博記念公園には「太陽の塔」(写真 p .66)が佇む。しかし、この作品の力強さは55年の時を経た今でもまったく色褪せることがない。2024年、日本広告写真家協会(APA)の「APAアワード2024」で600点を超える応募から最高賞として選ばれたのは百々新(とどあらた)が「太陽の塔」を斬新なアングルと切り撮り方で見せた万博記念公園マネジメント・パートナーズの広報・広告用に制作した「太陽の塔シリーズ」。半世紀以上経った今でもこれだけ人々に大きなインパクトを与える強さを持っていることを見事に示してくれた。当初は解体予定だった「太陽の塔」。次々と他のパビリオンが解体される中、撤去反対の署名運動が始まった。74年12月の第2回万国博施設処理委員会で岡本は「作る段階では永遠に残すなど、みじんも考えなかったが、できてしまうと自分から離れ、みんなのものになった」と語っている。その後、1975年3月、塔の永久保存が決まった。いったいこの作品はどうしてそこまで人々の心を捉えたのだろう。

 

左:公式キャラクターの「ミャクミャク」 右:公式ロゴマーク
画像提供:2025年日本国際博覧会協会

 

 

対立し戦うことで人類の高みを目指した塔
 

大阪での万博開催が決定したのは1965年9月。それを受けて設立された日本万国博覧会協会は統一テーマを「人類の進歩と調和」に設定。 1967年、そのテーマを象徴するテーマ館プロデューサーに国際的知名度と斬新さを理由に岡本太郎を迎える話が浮上する。権力や権威と闘い続けてきた岡本は、当初、この要求を拒み続けるが、6月、万博に関連したイベント「万国博教室」で「万博とは祭りだ。祭りとは無償で無目的な行為である。万国博ではおよそ進歩したものを否定して語らなければダメだ。本当の調和は徹底的に対立し戦うことによってもっと高いところに生まれる」と発言。それから間もなく岡本自身も、自らの葛藤と向き合ってこの役を引き受けることにした。「日本人はみんな几帳面だけれど、無邪気さとべらぼうさというのがないから、巨大なべらぼうなものを、無邪気なものを作ってやると思った。

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