堀浩哉 展「触れながら開いて2」
—境界線上に立ち、描き続けることの根源的問い
文=ONBEAT編集部、写真=ミヅマアートギャラリー
描くという行為は、世界への応答である。半世紀以上にもわたり、美術における制度性や社会の常識に迎合することなく、一貫して「境界線上に立つ」という立場から自らの表現を切り拓いてきた美術家、堀浩哉。その現在地を示す個展「触れながら開いて2」が、ミヅマアートギャラリーを舞台に幕を開ける。
2020年から始まった《触れながら開いて》シリーズ。
その発端は、パンデミックという未曾有の社会的断絶であった。しかし、その探求は時代性という名の表層を突き抜け、やがて作家自身の内なる時間へと深く潜っていく。表現の根源とは何か。「描く」という行為は、どこに在るのか。その問いの連鎖が、このシリーズの核心を形成する。
本展で発表されるのは、同シリーズの新作群。それは、きわめて個人的な思索の軌跡でありながら、だからこそ私たちの心に親密に響く、普遍的な強度を宿した絵画空間の創出である。

触れながら開いて-18 2024
墨、岩絵具、油性マーカー、アルミ粉、和紙、キャンバス 227.3×181.8cm
撮影:宮島径 ©︎HORI Kosai Courtesy of Mizuma Art Gallery
「絵画」と呼ばれる以前の、名付けようのない表現へ
本当は「絵画(美術)」と呼ばれる必要など、ないのだ。
名付けようのない表現こそが、まずあったはずだ。
しかしそれが「絵画(美術)」と呼ばれるのなら、それを引き受けようとしただけだ。
堀浩哉
作家の言葉は、静かに、しかし鋭く、私たちが自明のものとしてきた「基準」そのものを揺さぶる。私たちは常に何かを名付け、分類し、理解しようと試みる。だが、その基準は絶対的なものではなく、いつでも反転可能な価値でしかない、と堀は喝破する。その危うさを、彼は「戦争」という極限状況を例に挙げて示す。境界線の両側で、それぞれの正義が衝突する不毛さ。
堀浩哉は、そうした二項対立のどちらか一方に与することを拒む。彼の立つ場所は、常にその「境界線上」。絶対的な原理の内側で自己完結するような、閉ざされた表現への根源的な拒否感が、そこにはある。
「絵画(美術)」というレッテルを引き受けながらも、その輪郭が揺らぎ、溶け出す領域を探し求める。そして、そこにかすかに「開いて」いる、名付けようのない表現へと手を伸ばす。彼の制作とは、その瞬間の連続であり、積み重ねなのである。

触れながら開いて-10 2024
墨、油性マーカー、岩絵具、和紙、キャンバス 227.3×181.8cm
撮影:宮島径 ©︎HORI Kosai Courtesy of Mizuma Art Gallery
ONBEATが注目するポイント
色彩の交響と、沈黙する下地の雄弁さ
ギャラリー空間に並ぶ、大中小さまざまなサイズのキャンバス。そこに溢れるのは、原色に近い赤、青、黄色の鮮烈な飛沫。奔放でありながら、たおやかさをも感じさせる線の流れ。色彩の洪水、線のささやき、そして静謐。
しかし、鑑賞者の視線を真に捉えて離さないのは、その背面に広がる、幾重にも重ねられた下地の存在かもしれない。それは単なる背景ではない。幾度となく塗り込められ、削られ、重ねられた時間の地層。内側から滲み出るような深い奥行きと、静かな説得力に満ちたマチエール。
鮮やかな色彩や線が「動」であるならば、下地は揺るぎない「静」。この動と静の対話こそが、堀の絵画に内から外へと広がるような、絶え間ないエネルギーの循環を生み出している。
墨、岩絵具、油性マーカー、アルミ粉、和紙。多様な素材が織りなすテクスチャーの共鳴。その複雑な肌理(きめ)に触れるような鑑賞体験が、ここにはある。

触れながら開いて-11 2024
墨、アルミ粉、油性マーカー、岩絵具、和紙、キャンバス 227.3×181.8cm
撮影:宮島径 ©︎HORI Kosai Courtesy of Mizuma Art Gallery
「触れながら開いて」—身体と空間の対話
《触れながら開いて》というシリーズタイトル。
それは、堀の制作哲学そのものを映し出す、極めて示唆に富んだ言葉の選択である。
「触れる」という、極めて身体的で直接的な行為。それは、世界との断絶を余儀なくされた状況下で、確かさを取り戻すための切実な手つきであったのかもしれない。そして「開く」という、解放への意志。閉ざされた状況から、内なる宇宙へ、そして他者や空間へと開かれていく精神のベクトル。
このシリーズは、身体と精神、内と外、断絶と接続といった、相反する概念の間を揺れ動く。その揺らぎそのものを、堀はキャンバスという空間に定着させようと試みる。それは、単なる再現ではない。空間に刻まれた思考の軌跡。それ自体が、この世界への応答であり、問いかけなのだ。
半世紀の歩みが刻む、「現在」の軌跡
堀浩哉の作家活動は、半世紀を超える。その長いキャリアを通じて、彼の姿勢は驚くほどに一貫している。制度への懐疑。境界への執着。そして、描き続けることへの揺るぎない信念。
本展は、その長大な思索の旅路の、集大成ではない。あくまで「現在」の表現である。過去を振り返りながらも、決して歩みを止めない。むしろ、これまでの全ての探求を血肉として、今この瞬間にしか生み出し得ない絵画を追求する。その真摯な姿。
変わらず「描き続ける」こと。その愚直なまでの反復行為によって、堀浩哉は自らの存在をこの世界に刻みつけてきた。彼の作品群を前にするとき、私たちは単なる完成された「作品」を見ているのではない。終わりなき探求の、生々しいプロセスそのものに立ち会っているのである。
開かれた問いとしての絵画
堀浩哉の絵画は、鑑賞者に安易な答えや癒やしを与えない。むしろ、それは鏡のように、私たち自身の内面を映し出し、根源的な問いを突きつけてくる。
基準とは何か。正義とは何か。表現するとは、生きるとはどういうことか。
鮮やかな色彩とたおやかな線が織りなす静謐な空間。そこには、作家が半世紀以上をかけて紡いできた、重厚な思索の響きが満ちている。名付けようのない表現が、かすかに「開いて」いるその瞬間。その裂け目から漏れ出す光に、あなたは何を見るだろうか。
この夏、ミヅマアートギャラリーで繰り広げられる、静かで、しかし熱を帯びた空間との対話。
ぜひその身体で、精神で、体験してほしい。
その開かれた問いに、あなた自身の応答を探すために。
【展覧会概要】
- タイトル: 堀浩哉 展「触れながら開いて2」
- 会期: 2025年8月6日(水)- 9月6日(土)
- 時間: 12:00 – 19:00
- 休廊日: 日・月・祝、夏季休廊(8月12日〜16日)
- 会場: ミヅマアートギャラリー
- 住所: 〒162-0843 東京都新宿区市谷田町3-13 神楽ビル2F
- ウェブサイト: http://mizuma-art.co.jp

触れながら開いて-17 2024
墨、アルミ粉、油性マーカー、和紙、キャンバス 227.3×181.8cm
撮影:宮島径 ©︎HORI Kosai Courtesy of Mizuma Art Gallery