2022年10月1日(土)~2023年3月5日(日)まで、金沢21世紀美術館にて開催中の「時を超えるイヴ・クラインの想像力―不確かさと非物質的なるもの」。その内覧会の様子を菊池麻衣子がレポート!
イヴ・クラインの作品と聞いてぱっと思い浮かぶものはありますか?
建物の屋根のひさしから空に向かって彼が飛び立とうとしている写真でしょうか?
それとも、人の形をそのままキャンバスに写し取った作品でしょうか?
戦後ヨーロッパの美術界で斬新な表現行為を行っていた一群のアーティストの一人として、彼の作品を何点か見る機会はあっても、初期から晩年までの作品をまとめて見る機会はあまりなかったかもしれません。
それもそのはず、彼を中心に構成した展覧会は、日本では37年ぶりなのです。
世界的にも評価の高いこのフランス人アーティスト、イヴ・クラインの作品を中心に構成した展覧会「時を超えるイヴ・クラインの想像力―不確かさと非物質的なるもの」を開催しているのは、金沢21世紀美術館(金沢市)。
1940年代後半から1962年に急逝するまでの短い活動期間に、戦後美術界に絶大なインパクトを与えた彼の感性が生き生きと浮かび上がり、「物ではない何か」の共有を求める現代の私たちに力強く語りかけてくる展覧会です。
彼の作品を理解する上で重要なキーワードである非物質的(immaterial)とは何かを考えながら、金沢21世紀美術館でのイヴ・クライン体験をシェアします。
空の中に非物質的な世界を見出した?!
いきなり「非物質的」という言葉が出てくると固い感じがしますが、クラインが最初に「非物質性」をはっきり意識した時のエピソードは結構お茶目です。
“クラインが20歳の時、詩人のクロード・パスカルと彫刻家のアルマンとともに生まれ故郷ニースの浜辺で寝そべっていた時、3人で「世界を分割する」ことを思いつきます。クラインが欲したのは「青空」であり、空に向かって署名することで、空とその無限性を作品として手にした” というエピソードです。
海辺で子供のようにはしゃいでいる3人の青年が思い浮かびませんか?
それに、「無限に広がる青い空を自分のものにしてみたい」とか、「その空に思いっきり自由に自分の絵を描いてみたい」とかというような発想は、私たちも抱いたことがあるような気がしませんか?
ただ、クラインが非凡なのは、そこに「非物質性」を見出し、その空の色から「青」が最も「非物質的」であると思い至ったこと。そしてさらに、その感性を表現するためのインターナショナル・クライン・ブルー(IKB)という青の顔料まで開発してしまったところだと思います。
ここで話を元に戻しますが、彼の言う「非物質性」とは何なのでしょうか?
「空」の中に非物質的な世界を見出したことをヒントにすると、それは、色はあるけど定まった形がない、重さがない、無限に広がる、目に見えないこともある、といった性質があるのではないかと感じました。
そう考えると、彼が開発したインターナショナル・クライン・ブルー(IKB)という「青い色」が「非物質性」を体現する存在として、ありとあらゆる作品に登場することにも合点がゆきます。
また、クラインが表現手段として活用した、「色や火、空気、音といった非物質的エレメント」に関しても、色はあるけど定まった形がない、重さがない、無限に広がる、目に見えないこともある、といった性質が概ね当てはまりそうです。
とても重要な日本での体験
クラインは、当時の欧米人としては稀有なほど高いレベルで柔道をマスターしていました。なんと、1952~54年の日本滞在時には黒帯を取得しています。そして、この柔道の体感が、「非物質性」を作品化するにあたって随所に応用されたことが分かるのも、今回の金沢21世紀美術館展で面白いところです。
クラインの日本での重要な体験として、広島の原爆について深く知るようになったことを特に強調しておきたいと思います。原爆の放射熱による人間の残像(「死の人影」)を目にしたことから、人間の体が残す痕跡への関心を深めたというのです。
そしてなんと、その影響を受けて生まれた作品が、ヌードモデルが彼の指示で青の絵の具を塗りキャンバスに体を押し付ける「人体測定(anthropometrie)」のシリーズなのです!
多くの日本人には、恐ろしい原爆体験の象徴として記憶に刻まれていると思われるこの人間の残像が、クラインの手にかかるとこのような人型の作品に昇華してしまうなんて!驚きです。
ところで、この作品、どうやって制作したと思いますか?
今回の展覧会ではなんと、映像と音楽で、クラインが「人体測定」を制作した現場の様子を再現している部屋があります。
私は、クラインの友人達が集まって、遊び半分に青いペンキにまみれてキャンバスにダイブしている様子をイメージしていたのですが。。。
全然違いました!
ヌードモデルが筆になる?!
まず、オートクチュールのファッションショーでランウェイを歩くような素晴らしいプロポーションのモデルたちが、ヌードで黙々と青の絵の具をたっぷり体に塗っています。ちょっと銭湯で女性たちが無心にスポンジで体に石鹸を塗っているような雰囲気もあってご愛嬌だったのですが(笑)、美しくも奇妙な光景です。絵の具を塗り終わったモデルから、台を登り、立てかけてあるキャンバスに体をこすりつけて痕跡を残します。
その間クラインは何をしているのでしょうか?
タキシードを着て指揮をしているのです!
何を?
彼自身が作曲した交響曲《単音−沈黙》とモデルたちです。
その様子を正装した100人余りの鑑賞者たちが見守ります。
ともすると、ギャグと紙一重のこのシーンなのですがクラインの美意識が隅々まで行きわたっていることでエレガントになり、貴族的な雰囲気すら漂っています。そして、観客もモデルも洗練されていることから察すると、同席しているのはかなり選び抜かれた人々なのではないかと感じます。
当時60年代前後のヨーロッパの空気はどんな感じだったのでしょうか?
映画ではヌーヴェルヴァーグが誕生し、美術分野ではヌーヴォー・レアリスムが巻き起こるなど、前衛芸術がどんどん生まれると同時にそれを受け入れる土壌も肥えていたのかもしれません。
「そこにいたはずの人の体の痕跡」という「非物質」を、これまた「非物質的」なクラインブルーで残すという抽象的なパフォーマンスに多くの人々が熱狂できる時代の空気ってステキだと思いませんか?
それにしても、どうしたらこんなにたくさんの美女たちがこんなパフォーマンスを快く引き受けてくれるのでしょうか?かなりギャラが良かったのでしょうか?
私は逆に、クラインが「人体測定」を作るとなると、協力したいモデルたちがたくさんいて、くじ引きするくらいの勢いだったのではないかと想像しています。
クラインの未亡人であり、当時彼のアシスタント兼モデルでもあったロトラウト・ユッカー(RotrautUecker)さんは、青のモノクロームを見た感覚や、「人体測定」のためのモデル体験を次のように語っています。
“(青を目の前にして)、ただただその中に自分は消えてしまいます。本当に惹きつけられて、その枠や大きさのことを忘れて没入し、無になってしまいます。”
“(「人体測定」のためのモデルは)、エキサイトして、みな彼との仕事を喜んでいました。それはとても美しい瞬間で、青い絵の具を塗るとそれが洋服のように感じられ、とても綺麗で自然でした”
(※LouisianaChannelのyoutubeより:https://www.youtube.com/watch?v=twteYAavt_8
Copyright:Louisiana Museum of Modern Art, 2018
Rotraut was interviewed by Christian Lundatthe Louisiana Museum of Modern Art in Denmark in Septembe r2018. Camera:Rasmus Quistgaard, Editedby:Klaus Elmer,
Produced by:Christian Lund)
クラインの試みは、変わった行動をさせられるモデル達にとってもハッピーな体験だったようですね。映像を見ると、彼はとてもハンサムでナチュラルな色気を放っています。モデルたちがハッピーだった一因として、それは無関係ではなかったでしょう。
ここで一つ疑問に思うのは、なぜ「人体測定」のモデルは美しい裸の女性でなければならなかったか?ということです。作品としては、顔も分からないし、男性か女性かもわからないのに。。。やはり、そこには男性であるクラインの好みが入っていたのでしょうか?ちょっと役得じゃないの?と思ったのは私だけでしょうか?(笑)。
クラインの「非物質的」感性に共鳴する作家たち
今回の展覧会では、クラインの同時代の作家だけでなく、現代の作家がどのように彼と共鳴しているのかも体感することができます。
例えば、「色と空間」の展示室では、モノクロームの絵画面を切り裂くルーチョ・フォンタナの作品と、具体に参加していた元永定正の色水をビニールチューブに入れて吊るした作品が、クラインのモノクローム作品と一緒に展示されて、多幸感すら感じる美しい共演を果たしています。
クラインが、ニースの浜辺で空に向かって署名した時、その空に作品も描いていたとしたらこんな感じだったのではないかと思わせるような空間です。
日本のZ世代アーティストは?
「新しい孤独」を絵画や映像作品で制作している布施琳太郎(ふせりんたろう)さんはどのように共鳴したのでしょうか?今回の新作は、クラインブルーで描き出された「人体測定」と同じ色調の青と白で、LEDパネルに写し出される都市の風景がうごめいています。
「非物質的な世界を共有できる形にして提示したクラインと、逆の性質を持つ作品と言えるかもしれません」と布施さん。
確かに、布施さんの作品では、現実にある都市の風景を写した画像を青色のネガフィルムのように加工して、ぐにゃぐにゃと変形させながら動かしているので、物質だったものが非物質になったような感じがします。しかもAIの協力を得て!
クラインの感性は、非物質的な環境に囲まれて育ってきたデジタルネイティブなZ世代にこそナチュラルに届くのかもしれません。
「私たちは、現在、気候変動やウィルス、インターネット情報環境など無数の『見えないもの』が起こす混乱の中で、実体が見えない不確かさの中にいます。それゆえに、クラインの非物質性が生み出す感性や精神性の探究は、ポストインターネット世代を含む現代の芸術家たちの創作にインスピレーションを与えています。本展は、いま、ここにないものを感じ、想像し、不確かな現在を乗り越えていく喜びと力を私たちに与えてくれることでしょう」という金沢21世紀美術館の長谷川祐子館長の言葉が、説得力を持って響いてきます。
※文=菊池麻衣子
東京大学文学部卒業。英国ウォーリック大学にてアートマネジメントの修士号取得。化粧品会社の広報室を経て、2014年に「パトロンプロジェクト」を設立。同プロジェクトは、参加者が美術家と親しく交流しつつ応援しながらアートを楽しむ会。美術館貸切イベント、アートフェアツアー、アトリエ訪問などを実施。「小学館『和樂web』、『藝大アートプラザ』などで記事を執筆。国際美術評論家連盟(AICA)会員。PRSJ認定PRプランナー。著書『アート×ビジネスの交差点』。
開催概要
開催日:2022年10月1日(土)~2023年3月5日(日)
時間:10:00~18:00(金・土は20:00まで)※最新情報は公式ウェブサイトにて要確認
休館日:月(10月10日、10月31日、1月2日、2023年1月9日は開場)、10月11日、11月1日、12月29日〜2023年1月1日、1月4日、10日
会場:金沢21世紀美術館
住所:石川県金沢市広坂1-2-1
入館料:一般1,400円、大学生1,000円、65歳以上1,100円、小中高生500円
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金沢21世紀美術館館長 長谷川祐子氏が連載中!
『ONBEAT vol.17』ではブラックファンタジーをテーマにロンドンで開催された「In the Black Fantasic」と、ヴァネツィアビエンナーレのガーナ館に出品され、注目されたアフロスコープを切り口に、アフロフューチャリズムの新たな発展形を、その強烈なヴィジュアルとともに解説する。
『ONBEAT vol.16』では武士の防具であるとともにその美学が意匠に込められた日本の甲冑の存在やパフォーマンス性を更新すべく、金沢21世紀美術館で開催された「甲冑の解剖術―意匠と エンジニアリングの美学」の見どころを、キュレーションを手掛けた長谷川自身が解説する。
『ONBEAT vol.15』では今年、金沢21世紀美術館の館長に就任した長谷川が、同館が示すアートの未来のビジョンともいえる「アートと新しいエコロジー」を語る。そのプロジェクトの一つとして来春、東京藝術大学大学美術館で開催される「アートと新しいエコロジー:プロローグ展」についてAki Inomata、小野寛志、スプツニ子!×西澤知美、Keiken、HATRA/Synflux、Thijs Biersteker+Stefano Mancuso、Revital Cohen & Tuur van Balenの出展作品とともに紹介する。
『ONBEAT vol.14』では長谷川のキュレーションによりタイで開催された「第2回タイランド・ビエンナーレ」を主題に、“資本主義をデトックスする”ことを目指した同ビエンナーレに込める想いについて語る。
『ONBEAT vol.13』では坂本龍一やビョーク、Perfumeなどとのコラボレーションでも知られ、来春には長谷川のキュレーションで展覧会を開催する「Rhizomatiks」を主題に世界を語る。