2023年12月2日(土)~12月24日(日)、2024年1月1日(月・祝)~1月14日(日)の期間中、日本美のミュージアムホテル、ホテル雅叙園東京内では東京都指定有形文化財「百段階段」にて、「懐かしく新しい “レトロ” を旅する古今東西ニッポンの風景」が開催中!
旅館の玄関を想わせる展示から始まる今回の企画展のテーマは「懐かしく新しいニッポンの風景」。
暖簾をくぐり、最初の会場「十畝の間」へ進むと、一昔前にタイムスリップしたようなレトロな旅館の客間が現れる。
ここから始まる旅先の景色は、祭りの風景、東北地方のこけしや玩具、架空の温泉街のネオンサイン、観光地の店先の風景など実にさまざま。
一部屋ごとに違った景色を愉しめ、時代や地域を旅するような本企画展の見どころをご紹介する。
その土地ならではの景色や食、温泉、お祭り、民藝など、地域の歴史や風土を形作るコンテンツは、旅の記憶を呼び起こすと同時に旅への欲求を掻き立てるものでもある。旅先で出会う見たことのない景色や昔と同じように存在し続ける懐かしい場所やものは、すさまじいスピードで動いていく日常から私たちを一時解き放ってくれるものであるからこそ、人は旅に心惹かれるのかもしれない。
文化財「百段階段」では、文化財建築の7部屋の中にさまざまな「ニッポンの風景」が登場。
温泉街に輝く架空のネオンサイン、東北6県11系統の分布に見る約200体のこけし、懐かしくも個性的な日本全国の「地元パン」を収録した甲斐みのりの著書『日本全国 地元パン』とのコラボレーション展示など、現代のクリエイターや文筆家の方々との共演のもと、郷愁を感じさせつつもどこか不思議な旅先へ迷い込んでしまったかのような世界をご覧いただく。
あわせて「旧目黒雅叙園への旅」として、開業当初からのパンフレットや新聞広告などの歴史資料も一堂に紹介する。
ホテル雅叙園東京の前身の目黒雅叙園のルーツは、創業者・細川力蔵が、東京芝浦にあった自宅を改築した純日本式料亭「芝浦雅叙園」。
創業当時は、日本料理に加えて北京料理メインとし、お客様に本物の味を提供することにとことんこだわった高級料亭だった。より多くの人々に本格的な料理を気軽に食べていただくために、1931(昭和6)年庶民や家族連れの客が気軽に入れる料亭として目黒の地に目黒雅叙園が誕生。料理の味はもちろん、目でも楽しんでいただきたいと考え、芸術家たちに描かせた壁画や天井画、彫刻などで館内の装飾を施した。
豪華絢爛な東洋一の美術の殿堂はこうして誕生し、2017(平成29)年4月1日目黒雅叙園からホテル雅叙園東京へリブランドした。
一番多い時で300室ぐらいの宴会場があり、2号館が造られた時には料亭の中に結婚式場も設けた。結婚式と披露宴を同じ場所でできるというのは、当時には画期的なシステムで、大変評判が良かったといわれている。その後、4号館の中には美容室や写真館、さらに衣装室も設けている。
結婚式を一貫して行うシステムを考案したのは創業者の細川力蔵で、それが日本で初めての総合結婚式場といわれている。
展示会場の「百段階段」は行人坂沿いに建つ3号館。4つの建物に7つの部屋があり、部屋をつなぐ廊下が坂道沿いに建っているため階段になったという。すぐ下に目黒川は、昔はとても川幅が狭く、大雨が降るとすぐに氾濫していた。東京都から川幅を増設する工事をするためこの建物を移るように要請があり、繁盛していたが建て替えを余儀なくされ、3年間ほど休業。全て取り壊し、現在の建物に変わっている。この建て替えの間に、もともとあった美術品も修復をし、現在2500点ほど館内に残っているといわれている。ただ、3号館だけは建て替えの対象にならずに残っているため、東京都の有形文化財に指定されている。ホテルの中に残る唯一の木造建築だ。
みどころ1. レトロ感漂うイラストやインスタレーション
中村杏子の郷愁的な商店街やお土産物のイラストは、昭和の世代には懐かしく、その体験を知らない世代には、鮮やかな色使いが新しいニッポンの風景ともいえる、ニューレトロな世界を彷彿とさせる。また、カラフルなネオンを残存まで繊細に表現し、架空の温泉街を線画で描くのは、はらわたちゅん子。作品をアクリルパネルに写し取ったネオンサインに加え、その世界観をネオン管で再現したインスタレーションアートも必見だ。
昭和20年(1935年)に増築。その当時、第二次世界大戦や関東大震災などで、美術品などを作る芸術家は贅沢とされており、一気に職がなくなった時代だ。創業者の細川力蔵は、全国から腕のいい職人や大工、芸術家たちを集め、「ここに寝泊まりして食事を与える代わりに、本物を作ってくれ」とパトロンのような役割を果たし、ここで作らせた。ここで作られたものがたくさん残っていき、部屋ごとに手掛けた芸術家たちがいて、ほとんどの部屋に代表的な画家の名前が付いている。
十畝の間
この部屋の絵を手掛けた画家・荒木十畝(あらきじっぽ)の名にちなんで名付けられた。
畳の部分は42帖、天井高さは4.8メートルもあり、7つの部屋の中で一番の広さを誇っている。天井には、墨の扱いを得意とした十畝の本領を発揮した23面の四季の花鳥図が描かれている。
入り口に近い前室の色彩豊かな天井画と、奥の本間の墨の色合いを際立てた天井画では葉の色合いが異なる。部屋全体も十畝が描くテイストに合わせて黒でコーディネートされている。
この部屋の格子状の天井を「格天井」というが、格天井の組み合わせ部分には、精緻に装飾された金具をはめ込み、その中の花びらのような装飾は七宝焼で作られている。
七宝焼は、建設当時の昭和初期には、輸出品として作られ、国内ではほとんど流通していない貴重なものだったが、この部屋の天井には750点を超える七宝焼が使われている。
また、この部屋のもう一つの特徴は、長押などに見られる「螺鈿細工」だ。螺鈿は、チョウガイ、アコヤガイ等の貝殻の光沢のある面を模様の形に切り、それをはめ込んで装飾する技法。ここでは貝を漆で塗り込め、木炭で磨く「研ぎ出し」の手法が用いられている。「螺鈿細工」は、「ホテル雅叙園東京」のさまざまなところで見ることのできる、代表的な装飾となっている。
周りに配された障子は、菱組組子といわれるもので、麻の葉文様が幾何学的にあしらわれている。明るいときにこの障子の前を歩くと光が微妙に変化してシルエットが浮かび上がる、なんともいえない美しさがある。
窓の隅板は扇をモチーフにしたものや、コウモリが羽を広げたものがモチーフになっている。コウモリの発音が中国語では、「幸」「福」を表す言葉と発音が似ていることから縁起が良いといわれている。
漁樵の間
室内はすべて純金箔、純金泥、純金砂子で仕上げられ、彩色木彫と日本画に囲まれた美しさは息を呑むほどの絢爛豪華さだ。
床柱は左右ともに巨大な檜で、精巧な彫刻 (中国の漁樵問答の一場面)が施されている。格天井には菊池華秋原図の四季草花図、欄間には尾竹竹坡原図の五節句が極彩色に浮彫されている。
海の者である漁師と山の者である木こりが、互いの生業を問答し合う話「漁樵問答」がモチーフとなっている。
この部屋の展示は祭や祝祭をテーマにしており、一度で夏と冬を楽しめる。部屋自体が豪華な造りとなっており、部屋の良さを楽しめるような展示となっている。
床柱は日本画家の尾竹竹坡(おたけちくは)の原画を基に、彫刻師の盛鳳嶺(さかりほうれい)によって仕上げられている。樹齢280~300年ほどの檜の1本柱を織り込んで彫刻をされている。ホテル内の彫刻のほとんどが盛鳳嶺によるものだ。
左の柱は魚釣りをしている漁師、右の柱は木こりがモチーフとなっている。漁師が3人であるのに対し木こりは2人と、奇数と偶数というように相対するものが表現されている。紅葉の重なり具合も顔を近づけて見ると、平面の絵では描かれていない部分まで彫刻で表現されている。
彫刻の間にある絵画は日本画家の菊池華秋(きくちかしゅう)の作品。右側が花見をしている春の風景、左側は紅葉狩りをしている秋の風景だ。
欄間の部分に描かれているのは日本の五節句。正面は七草粥を食べる1月7日の「人日の日」。右手側がひな祭りである3月3日の「桃の節句」。こちらも座る人と立つ人、白い花とピンクの花といように相対するものが描かれている。
正面に戻ると左右には5月5日の「端午の節句」が描かれており、こちらも右は座っているが、左は立っている。後ろを振り返ると、7月7日の「七夕」。そして最後に菊の花びらを食べて長寿を願う、9月9日の「重陽の節句」が描かれている。純金箔など金が贅沢に使われており、今は色褪せてしまっているが、かつてはもっと鮮やかで祝いごとによく使われていた部屋で、花嫁が「自分が引き立たない」と言って不満が出るくらい豪華な部屋だったという。
草丘の間
群馬県出身の日本画家・礒部草丘(いそべそうきゅう)が欄間と天井の絵画を手掛けている。
欄間の絵は草丘の故郷である群馬県の景色だ。手前は力強いタッチで、奥に行くと柔らかい線で描かれている。
この部屋は昔は壁で仕切られており、前室と本間というような使い方をしていたとされる。天井の絵画も前室だった部分には花、本間だった部分には鳥が描かれおり、絵のタッチも全く異なり、違う部屋だった名残がある。
静水の間
奥の間の床柱は黄檗丸洗。格天井の秋田杉には池上秀畝の鳳凰・舞鶴、欄間四方には小山大月の金箔押地秋草が描かれている。次の間の天井及び欄間は橋本静水等の画伯によるものだ。
「静水の間」の展示では、カラフルな色使いでレトロな形式を描く中村杏子のイラストが20点登場。
建物のイラストの中にレトロポップなアイテムや動物のキャラクターが配置され、顔を近づけてじっくり鑑賞したくなる、懐かしくもありどこか新しい世界観をご覧いただける。
星光の間
奥の間の床柱は北山杉天然絞丸太で、次の間の床柱は槇出節、両室とも格天井及び欄間いっぱいに板倉星光の四季草花が描かれている。
はらわたちゅん子氏の描く2次元作品を、実際のネオン管で再現した立体展示や、同氏の線画のイラストをアクリルパネルとライトで仕上げたカラフルな作品が夜の街に浮かぶネオンのように輝く。
清方の間
美人画の大家、鏑木清方(かぶらき きよかた)が愛着をもって造った落ち着いた静かな茶室風の室。特に奥の間の床柱は径一尺五寸の北山杉の天然総絞丸太でこのような逸材は今日、市場でもなかなか見出せないものだ。廻り廊下の北山丸太を扱った化粧軒、障子建具、組子など、細心の造り。扇面形杉柾板に四季草花、欄間の四季風俗美人画ともに 清方の筆だ。
創業者の細川力蔵の欲から大きく描いてもらいたいということで、この部屋は特に欄間が大きな造りなっている。当時は取り外して美術館にも貸出をしていたという。戻ってきたときに、どこにあったのかわかるように、この部屋には作品の名前が付いている。
欄間には、歌舞伎役者の白井権八や市川團十郎、行人坂の上から見た富士山の景色や目黒川で髪を洗う女性など、目黒にちなんだ絵が描かれている。
頂上の間
天井画は松岡映丘門下の作品。前室、本間ともに格天井で、本間の床柱は黒柿の銘木を使用している。
部屋自体が未完成で終わっている。欄間に絵がなく、清方と並んで人気だった西村五雲(にしむらごうん)が手掛ける予定だったが、残念ながら部屋が完成する前に亡くなった。代わりに描いてもらう人もおらず、上には弟子など違う人たちの絵が描かれている。
当時は海軍の病院として使われたり、その後は美術品を収蔵する倉庫として使われたりして、2009年に東京都の有形文化財に指定されるタイミングで、綺麗にしようかと片付けて、その時に「頂上の間」という名が付いた。もしここに五雲の絵があったら「五雲の間」になっていたのかもしれない。現在は展示の関係でパネルが入っているが、本来は一面が窓で大変眺めの良い部屋となっている。
みどころ2. 民芸品や食で地域の特色を愉しむ
東北6県の伝統こけしを解説した佐々木一澄氏の著書『こけし図譜』(誠文堂新光社 刊)より、ほほえんだり、ニヤけたり、キリッと見つめたりと、さまざまな表情のこけしイラストの原画を展示すると共に、約200 体のこけしがずらりと並ぶ会場や、文筆家・甲斐みのり氏が全国各地を旅する中で出合った地域に根付く愛すべきパンを紹介する書籍『日本全国 地元パン』(エクスナレッジ 刊)のパネル展示と甲斐氏が蒐集した全国のパンの袋を一堂に展示する会場など。民芸品や食から地域の特性や時代背景を想像し、その地域を旅するような感覚でお愉しみいただける。
東北には津軽系や山形系など11系統のこけしがあり、系統によって顔の表情や形など特徴はさまざまだ。こけしの頭も、頭を上体にはめ込むタイプと、胴体にぽんと乗せるタイプ、それぞれが別々で繋がれているタイプなど、作り方がそれぞれ異なる。頭が大きかったり柔らかな体型だったり、系統によってさまざまなこけしが存在する。
こけしがずらりと並んでおり、表情の違いなどが楽しめる。上から見ると頭頂部も柄がさまざまで、丸が付いていたり、リボンのようなものが描かれていたり、こけしを作る工人(こうじん)の個性も出ている。
元々は京都や滋賀など木の多い所でこけしは作られていたそうだが、木を求めて東北へ移ったという。こけしを広めるために、温泉地の土産にするのがいいのではないかというところから、東北では温泉地にこけしが土産として売られていることが多いそうだ。
▼佐々木一澄
イラストレーター。雑誌、書籍を中心に活動し、児童書の挿絵や絵本も手掛ける。
著書に『こけし図譜』(誠文堂新光社)、『てのひらのえんぎもの 日本の郷土玩具』(二見書房)、『おいでおいで』(福音館書店)、『からだあいうえお』(保育社)など。郷土玩具蒐集家。東京こけし友の会、竹とんぼの会(日本郷土玩具の会)会員。
本展では日本に伝わる伝統こけしをイラストレーションと文章で解説した著書『こけし図譜』掲載の原画とこけし、郷土玩具を展示。
文筆家・甲斐みのりの著書『日本全国 地元パン』の中から都道府県の、書籍に登場するページをパネル展示しており、実際に甲斐が全国を回って集めた地元のパンのパン袋を、貴重なパン袋を展示。訪れた人たちは自分の地元のパンを見つけて懐かしんでいたりする。
みどころ3. レトロ建築の歴史や景色をめぐる
展示会場である東京都指定有形文化財「百段階段」は、落成から90年を超えるレトロ建築で、かつては、料亭の宴会場として使われていた。ホテル雅叙園東京の前身・目黒雅叙園の昭和初期のパンフレットや、当時の新聞広告などの展示から歴史を辿ったり、会場の欄間や天井に施されたススキの草原や、作者の故郷の風景など、建造物に描かれたアートの景色をめぐり、時を超え美と戯れる愉しみ方もおすすめだ。
1935年頃に新聞広告を出していた頃のもの。当時の料亭というと一般的には高級料亭で、メニューに値段がない時価だった。
この料亭は中国料理は大皿で一択、10名まで25円、日本料理は一人前で1円50銭から、チップは1割という感じだったという。料理を明確に提示するっていうシステムが、安価で気軽に使いやすいと、そのシステムが人気になった。多い時で1日に8000人ぐらいの客で連日にぎわっていたという記録も残っている。当時は結婚式も多い日には1日で116組行われていた。当時の披露宴のパンフレットには料理がランクによって値段が表示されている。
旅亭 雅楼(りょてい みやびろう)
1935(昭和10)年開業。全身は江戸末期に創業した旅籠「雅」であったが、関東大震災で焼失。震災後は分家筋である下田「雅」に身を寄せていたが、1931(昭和6)年から復興を目指し再開業に至った。
名物料理は鯉こく、著名人も足繁く通う名宿として知られている。
和服姿で世界観に入り込む 「レトロ着物ランチ」
着物一式のレンタルと着付、館内レストランでのランチ、本企画展の50%優待券をセットで用意。
昭和の旅人になりきってお愉しみいただけるよう、着物は、レトロでどこか懐かしい絵柄を中心に取りそろえている。
期間:2023年12月2日(土)~12月24日(日)、2024年1月4日(木)~1月14日(日)
店舗:中国料理「旬遊紀」/ 日本料理「渡風亭」/ New American Grill “KANADE TERRACE” / RISTORANE “CANOVIANO” / CANOVIANO CAFE
料金:17,000円~(税込)
内容:着物レンタル一式・着付・館内レストランでのランチ・企画展優待券
アートと美食を愉しむ至極のひととき 「お食事とセットの入場券」
本企画展と館内レストランでの食事(ランチまたはアフタヌーンティー)をセットでお愉しみいただける。
期間:2023年12月2日(土)~12月24日(日)、2024年1月4日(木)~1月14日(日)
店舗:中国料理「旬遊紀」/ 日本料理「渡風亭」/ New American Grill “KANADE TERRACE” / RISTORANE “CANOVIANO” / CANOVIANO CAFE
料金:4,200円~(税込)
開催概要
会期:2023年12月2日(土)~12月24日(日)、2024年1月1日(月・祝)~1月14日(日)
開館時間:11:00~18:00 ※最終入館17:30)
休館日:2023年12月25日(月)~12月31日(日)は休館
会場:ホテル雅叙園東京 東京都指定有形文化財 「百段階段」
住所:東京都目黒区下目黒1-8-1