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裕人礫翔

「西陣織」で知られる京都・西陣で箔工芸を業とする一家に生まれた裕人礫翔。「箔」は帯や着物などの素材として、また受け継がれる稀少な技として、5 4 0 余年の歴史を持つ京都・西陣とも深い関わり合いがある。伝統工芸という枠を超え、「箔」技術を駆使しつつ創造的な箔アート作品を生み出し、世界を舞台に活躍する裕人礫翔に話を聞いた。

《月光礼讃》 実相院で開催された「裕人礫翔 月の記憶」展より

礫翔さんは、伝統文化をアートの文脈にのせた「箔アート作品」を世界で発表しておられます。現在に至るまでの歩みをお聞かせください。

僕の父、西山治作が西陣の帯の中に使う金と銀の柄絵箔業の職人で、金色・銀色の様々な柄の模様を納めることを生業としていた関係で、僕も幼いころから工房に入って、見よう見まねでやっていたことが原点です。いずれ家業を継ぐのかなと思いつつ育ったのですが、成長するにつれ、マーク・ロスコやピカソなどに刺激を受け、現代アートが好きになったので、大学では洋画を専攻しました。僕のような生い立ちであれば日本画を専攻することの方が自然なのでしょうが(笑)。洋画専攻とはいえ、京都という土地柄、日常的に日本芸術に触れることができます。日本芸術に洋風なアレンジを加えることで、自分らしさが出るのではと思い、箔を使った油絵などを当時から描いていました。大学時代から現在までその方向性は変わっていないと思います。その後、30 代半ばで家業を継ぎました。社長になった頃、西陣織業界全体が次第に低迷し始め、柄やデザインの良さよりも価格が重視されるようになりました。価格競争を強いられる中で職人や従業員を守る方法を模索していたときに、壁面のインテリア装飾の仕事が舞い込んできました。そして銀箔装飾を施した壁《銀小波》を製作したのですが、その作品が京都デザイン優品に認定されたことで、西陣における箔の技能は商業デザインの世界で活きるという手応えをつかむことができたのです。しかし和装自体そのものが廃れていく状況を目の当たりにし、自分なりに考え抜いた結果、西陣の職人の間でも脇役的な存在「箔」を前面に打ち出す作品をつくることで、西陣とは全然関係ないところで挑戦してみようという結論に至りました。そこで家業は弟に譲り、僕は「裕人礫翔」と改名し、創作家の道を歩みだしました。外国人のように名を苗字よりも先にしたのは、当初から海外を意識していた表れです。

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庭を彩る裕人礫翔作品 実相院で開催された「裕人礫翔 月の記憶」展より