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加山又造

この春、大規模な回顧展が開催される日本画界の巨匠・加山又造( 1 9 2 7 – 2 0 0 4 )。狩野派の絵師であった祖父をもち、京都西陣の和装図案を生業とする家に生まれた加山は、伝統的な意匠や様式を、その鋭い感性と鮮やかな手法で現代に蘇らせ、独自の表現へと発展させた。現代日本画の革新に挑み続けた孤高の画家・加山又造の世界を、美術史家の辻惟雄、島尾新による「加山又造」論、そして加山家親族が語るエピソードと共に紹介する。

春秋波濤

美術史家・辻 惟雄 インタビュー 「日本画の改革者─加山又造について」より

《春秋波濤》は代表作の一つですが、実に見事な作品です。周知のように、加山さんは金剛
寺の《日月山水図屏風》に想を得てこの作品を描いています。源となった屏風絵は日本の自然そのものを圧倒的なリアリティで描いた作品ですが、加山さんも同じ効果を狙っているところがありますね。六曲一双(二つで一組の作品)の《日月山水図屏風》は右隻に春と夏、左隻に秋と冬が描かれています。その右隻と左隻を巧みにモンタージュして《春秋波濤》は描かれています。古典作品という土台の上に、自分なりの確固たる表現を試みており、大変力強い作品に仕上がっています。また、野毛箔や微塵箔など、蒔絵や大和絵屏風に見られる伝統的な手法が用いられていますね。
ここにみる箔の使い方は応仁の乱前後から室町時代後半にかけて好まれた手法で、室町大和絵鑑定の指標といってもいい。難しい技術ですが、それを見事に使っている。これがやはり非常によく効いていますね。《雪月花》も代表作の一点ですが、これは《春秋波濤》と合わせ一双(二つで一組)のつもりで描いているのではないかしら。制作年が違うから一組の作品という意識はあまり無かったかもしれないけれども、結果的にいうとそのようになっている。山や波の形は完全に金剛寺の《日月山水図屏風》ですが、《春秋波濤》は山が樹木に化けてみえるような工夫を凝らしたり、《雪月花》では円の中に月を配置し野毛箔を散らすということをしてみせる。室町時代の絵師といえどもここまでは思いつかなかったでしょう。この波を描いたエッチングのような鋭い線は、加山さんの感情のすべてを汲み込むような線ですよね。「模倣」という点に言及すれば、一枚一枚異なる絵を描くというような意識は大和絵の伝統の中には存在しなかったと思います。師匠が描いたものを模写するところから始まって、だんだん自分の個性が出てきて、気づかないうちに変っていく。それこそが「個性の発揮」でした。加山さんも古典を模倣しながらも内側から発揮される個性の表出を目指していたのだろうと思います。しかし俵屋宗達のような非常に個性的な画風が突然生まれた理由として、信長や秀吉といったやはり非常に個性的な人物を生んだ「戦国・桃山時代」という時代背景があったと思います。意外なことに宗達は若い頃に浪曲のテキストである謡本に下絵を描いているのですね。それなどを見ると、宗達の中には平安時代につくられた大和絵を意識し、その伝統を崩さないという復古的な要素があることがはっきりわかります。そういう点で、宗達と加山さんの創作態度はつながっているのですよね。とにかく、この頃の加山さんは本当に室町桃山時代の大和絵を徹底的に勉強されて、それを現代に再生させようとした。加山さんは研究した結果を様々なバージョンで描いておられますが、《春秋波濤》と《雪月花》の二作が最も成功しているのではないでしょうか。こういう作品は偶然では生まれません。何度も試行錯誤を重ねた末に、このような傑作が生まれる訳です。この二作品は、重要文化財に指定されてもいいぐらいの作品だと私は思っています。

明治以降の日本画の世界では、愚直に師匠の言うことを聞いて伝統的な手法や画題に終始した画家が大多数です。しかし、大正画壇における速水御舟に代表されるように、西洋画に刺激を受けて、日本画を変えた人物もいます。加山又造はその速水御舟の系譜を継ぐ大物画家であり、日本画の改革者であると思います。日本画のイメージを現代に生きる自分の個性、美意識に合わせて、構築し直した画家です。伝統的なものの中に創造的な性質を見出すという、「伝統と創造」。これは戦後から現在に至るまで、日本美術界における課題ですが、加山又造こそこの課題に誠実に向き合い、その作家人生を全うした画家だといえるでしょう。

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