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安藤忠雄

光の教会

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安藤忠雄インタビュー

安藤さんは、近隣のほとんどがものづくりの仕事に携わっている大阪の典型的な下町で育ち、小学生の頃から近所の木工所や、鋳造所、ガラス工場などを遊び場にしていたと聞きます。建築家・安藤忠雄の原点を垣間見るようなエピソードですので、その頃の話からお聞かせください。

アメリカやヨーロッパから取材を受けるときも大抵同じ質問から入ります。つまり「なぜ建築家を目指したのか」という話ですが、私の育った下町には絵画や文学、クラシック音楽などはなく、日が暮れると仕事を終えた労働者の人々が演歌を聞きながらお酒を飲むといった環境で育ったものですから、私はおよそ文化的というにはほど遠い子ども時代を送ってきました。本来、建築というのは非常におもしろい仕事です。ところが現代の建築現場は周りを養生シートで囲ってしまい何をやっているのかわからないから、子どもも興味の持ちようがない。しかし、昔は大工さんが建物を造るときには、土を掘る、基礎を作る、土台を作る、柱を立てる、壁を作る、屋根を作る、というプロセスが外から全部見えましたので、私は子ども心に大工という職業に興味を感じていました。一心不乱に働く姿を見て、大工というのは何かとてつもなく面白い魅力を持った職業なのかもしれないという好奇心が生まれたのが、その始まりです。有難いことに奈良には東大寺や法隆寺、京都には平等院や桂離宮など、関西には歴史的にも重要な木造建築が数多くあるので、実際に見て学べたことも大きかったと思います。あの壮大なスケールの建築を、あの時代に造った人たちがいる。今でいう現場監督にあたる大工の棟梁をはじめ、左官屋や石屋、また施主や出資者など、一つの建造物に対して関わった人が大勢いたはずです。建築には施工管理も必要だし、材料や工法の知識も必要不可欠です。私は東大寺に使用された巨大な木材や石材の産地、また運搬方法を知りたいと思い、独自に調べました。一つの建造物から資材選択の理由や運搬方法、建築工法などに思いが巡り、実際に建つまでの様々な工程のおもしろさを意識するようになりました。しかし進路を決めなくてはならない中高時代には、将来建築家になるという具体的な決意はまだありませんでした。好奇心から高校2 年生のときに、近所のボクシングジムに見学に行ったのですが、喧嘩がお金になる世界が存在することに感動して、その1 か月後にはライセンスを取ってプロになっていました。10 数回試合をして、まずまずの成績を残しましたが、当時のボクシング界のスター、ファイティング原田のスパーリングを間近で見たとき「自分には才能が無い」ということがわかりボクシングは止めました。プロのライセンスが1 か月で取れたのは、小中学生の頃、人一倍喧嘩をしていたからだと思います。当時の子供の喧嘩は、激しい取っ組み合いでした。昨今の子供たちは全く喧嘩をしないようですが、それでは子供は育たない。大人になる前に「子供をする」ことが大切です。「子供をする」というのは元気に駆け回り、喧嘩をしたり、大声を張り上げたり、泣き叫んだりすることです。「よく学び、よく遊べ」と言うじゃないですか。私は勉強はできなかったけれど、よく遊んだ。しかし、遊ぶときも常に考えました。淀川にフナやコイを釣りに行くとなったら、餌は何にするか、竿や釣り糸は何を使うかなど魚の種類によって工夫したので、魚釣りは他の誰よりも圧倒的に上手だった。喧嘩をするときも、どうしたら勝てるか工夫する。相手が大きくて強そうだったら自分が大きくなるまで待つ。そして何年か経ってこちらから仕掛ける。そういった中長期的な視野や工夫の大切さを子供の内に体を張って学んだ。私が建築でやっていることは子供の頃に経験して学んだことの応用です。私が瞬間的に状況判断ができるのは、喧嘩や遊びの中で“ 直感” が磨かれたからだという自負があります。子供のときに「子供をした」おかげで今があるんです。

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