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絹谷幸二

祝・飛龍不二法門祝・飛龍不二法門

絹谷幸二インタビュー

京都国立近代美術館で開催される個展は、「色彩とイメージの旅」というタイトルですが、それはすなわち絹谷先生が追い続けてきた制作テーマなのではないでしょうか。

そのとおりです。「色彩」に関しては、東京藝大の学生時代、僕はいわゆるモノクローム調の地味な絵ばかり描いていました。ところが留学先のヴェニスのサンタ・ルチア駅に降りた途端、心が開かれるような世界に遭遇したのです。ヴェニスの街の色彩と地中海の明るい色彩に胸襟が開かれる思いがしました。しかし、そのとき同時に「待てよ、こういう景色はどこかで見た気がする」と感じ、よくよく思い起こせば、私の生まれた奈良のかつての姿がそれなんですね。今の奈良は侘び寂び調になっていますが、奈良が「都」として一番栄えていたころは、「咲く花の匂うがごとく、いま盛りなり」と謳われる色彩感に溢れた、そして心も胸襟も開いた世界だったんです。バラモン宗の人が歩いていたり、イラン、イラクの人や、中国、朝鮮の人がいたりと、非常に国際的な都市でした。思いもか
けず、私はヴェニスで己のルーツ、奈良を再発見したのです。日本人は元々海洋民族ですから、もっと明るい国民性があるのですが、徳川300 年の軍事政権の間に庶民はかなり抑えつけられ、侘び寂び的な価値感を植えつけられてきました。その影響がまだ日本人の中に残っている。色彩が抑えられた環境では、例えばみんなでカーキー色の服を着れば、簡単に他人を殺せるようになります。「みんなで渡れば怖くない」という「右向け右」、横並び」の思考です。個性を抑えつけず、日本人にそれぞれの持ち味を発揮してもらうためにも、僕は日本に本来の色彩を取り戻したいという思いがあります。砂漠や海底30 mといった色彩の乏しい環境では、生き物の多様性も一気に減ります。色彩がある場所は、命溢れる平和な場所でもあるんです。一方で、「イメージ」というのは「夢」、あるいは「想像力」、「空想力」と言ってもいいですが、それは取り出して見せることができない「触れられない世界」、「心の中の世界」です。僕は「イメージ」は、無くてはならない一番大事な感覚だと思う。数字で表すことができないからです。産業革命以来、数字や物質をずっと追い続けてきた結果、世界中で戦争が起こり、物質偏重社会となり、「イメージ」という「触れられない世界」は疲弊してきています。こういった今の世界を変えなきゃいけない、というのが私の本心です。日本の国も人々が色とりどりに個性を伸ばし、それぞれが持つ「イメージ」を発揮していただければ、今までとは違った広がりをもって伸びるのではないかなという考えもあり、絵描きである自分は、作品を通じてそうした思いを表現してきました。

絹谷先生の作品には、「見る人たちの自由な発想力や生命力を呼び覚ましたい」という願いが込められているのですね。

そう願っています。「絵」というのは僕が死んでからも残りますから、未来の子供たちと「こういうイメージの世界もあるんだよ」ということを、絵を通じて対話できたら嬉しいですね。自分が生きているこの現代だけでなく、自分が存在していなかった過去のこと、あるいは存在しなくなった未来のことまでも含めたスパンで物事を考えたいという思いが、僕にはあるんです。人間というのは、今のようにコンピューター文明がどんどん進んでいっても、アルタミラの洞窟で壁画を描いていた昔から大して変わらない部分があると思います。僕たちの遺伝子の臍の緒は、洞窟壁画やフレスコ画が描かれた時代からずっとつながっていて、そういう忘れ去られた過去にこそ、これからの時代を生きていくための新しいコンセプトがあると僕は思っています。ピカソやマティスといった画家たちも、産業革命か始まった近代化の行く末を案じ、「古代に還れ」「自然に還れ」という思想の下、アフリカの原始美術などを発見しています。僕も未来に向かう進出の気持ちを持ちつつ、過去と何ら変わらない世界があるのだということを作品の中で指し示したいと思っています。同時に、戦争と平和、男と女、水と油など、相反する概念はひとつの絵のように、ひとつのものの中の部分なのだということも知らしめたい。例えばミケランジェロの有名なシスティナ礼拝堂の天井図。そこには天国と地獄が描かれています。天国も地獄もひとつの絵の中の「部分」なのです。そう考えると、私たちは平和なときには悲惨な戦争のことに思いを馳せなきゃいけないし、悲惨なときには明るい世界のことを思い描く必要がある。殺し合いが絶えない現代世界の業火の中にも“ 仏様”というイメージの世界が広がっていて、私たちに救いの手を差しのべて救ってくださる。相反するものは別々に存在するのではなく、いずれも「部分」に過ぎないことを、僕は絵の中で主張していきたいと思っています。

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黒谷光明寺

 黒谷光明寺降臨文殊菩薩