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十一代 大樋長左衛門

大樋飴釉

大樋飴釉薬窯渦茶盌

十一代 大樋長左衛門インタビュー

大樋さんは昨年、第十一代大樋長左衛門を襲名され襲名記念展を開催されたわけですが、学生時代は東京で家業の大樋焼とはまったく無縁の生活を送っていたそうですね。

僕は幼少期から自分を取り囲む環境が大嫌いで、茶道とか和菓子とか陶芸という言葉を聞いただけでアレルギーが出る感じだったんです。「この家は全部壊してしまえ」とか本当に思っていたし、家訓やお正月の行事とか、全部嫌でした。結局地元にいられなくなり、東京の高校に入ったら僕のような生い立ちの生徒がたくさんいた。そうすると、いかにおもしろくて悪いことをやるかという方向ばかりに行ってしまう訳で、高校・大学時代はとても楽しい日々を過ごしました。大樋焼の跡継ぎという現実に向き合わざるを得ない地元には、絶対帰りたくないと思っていましたね。元々僕は、現代アートとか、建築、空間デザインというものが好きだったのですが、将来的に関わることができるようになるとは思ってもいませんでした。いまでは僕がデザインした観光バスとか、設計監修をした空間( 77 頁、写真3 , 4)などが金沢市内に沢山あります。

大学3 年のときロサンゼルスで、アメリカの陶芸家リチャード・ハーシュ氏が作った《アメリカン・ラク》に強い衝撃を受けたことがきっかけで、楽焼と同じ系譜に連なる家業の大樋焼に目覚め、卒業と同時にハーシュ氏が教授を務めるボストン大学に留学されたと聞きました。

その三本足の器《アメリカン・ラク》を見たときに、「アメリカにも楽焼はあるのか」という驚きと、「この人の下で陶芸をやってみたい」という感情が沸き起こりました。そこで、ハーシュ先生に手紙を書いたところ、「自分の所で勉強したいのならボストン大学の大学院に来ますか? 」という返事をいただきました。先生の下で真剣に陶芸を学ぶという目標が定まってから、つまり大学3 年生から4 年生にかけて、それまでの学生生活を全て取り返すぐらい勉強しました。渡米後には、総領事館で開かれた茶道のデモンストレーションに携わった関係で、自然と裏千家の方々と知り合い、NYにある裏千家茶道教室に通ってお茶を習うようになりました。それだけではなくN Y 裏千家の山田尚先生は親代わりになって僕の面倒をみてくださいました。おかげさまでNY では思いっきり色んなアートを見て、色んなクリエイターたちと知り合いました。またその頃、メトロポリタン美術館で催された日本の茶道のデモンストレーションを見たのですが、そこに展示されている現代アートよりも、茶道の方が現代アートに見えたんです。僕は直感的に「これだ!」と。「今まで実家で目にしてきた伝統文化とは、実は現代アートだったんだ」という気づきを得たんですね。日本の伝統が“ 現代に息づくアート” であるならば、僕も正面から取り組んでいくことができると確信し、アメリカから帰国しました。

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大樋飴釉窯変聖茶盌

大樋飴釉窯変聖茶盌